ユーミスの丘

ドラ猫横丁0番地に住む猫たちの愉快な物語

その20 逃げてー!

 夜になってもボンジュは戻らなかった。僕は心配でニャンキーハウスから出て厩舎や母屋付近を捜し回った。母屋の玄関横の小さな小さな池にカエルが住み着いて声を張り上げていた
「ゲロッ、ゲロッ、良い夜だー!」
「ゲロロロー、星光ってるー」
 ハッピーな鳴き声に誘われて僕はそばに腰を下ろした。
「ゲロッ!何してんだー?」
「ゲロロ!何か困った事でも出来たのかい?相談にのるよ」
 顔見知りとは言え、カエルと話すのは今夜が初めてだった。
「ウンニャー、ありがとう。家の跡取り息子がまだ戻らんのサ」
「おやー、それは心配だワ。どんな子だい?仲間に聞いてやるよ」
 カエルは僕らにとって傍観するもので、食べようとしたりいじめようなんて考えた事は皆無であった。ベトベトして気味悪いと潜在意識にインプットされているからだ。だが、話して見るとなかなか良い奴の様だ。ヒョッコリ葉ワサビに囲まれた池から顔を出して、二匹のカエルは喉をヒクヒクさせ心配してくれた。
「ありがとう。もう一回探してからにするよ」
 そう言い残して足早に立ち去った。
いくら良い奴でも友達にはなれそうもないな!)
 気味悪く、無意識のうちにブルッと身震いした。今度は夜露にしっとり濡れた前庭を横切り、勝手口付近を探す事にした。
「ボンジュー!ボンジュー!」
 呼びながら裏手に向かって行くと
「伯父ちゃん!逃げてー!」
 ただならぬボンジュの叫び声がした。キンコだ!ボンジュはキンコに追われているんだ!テレパシーでピンと来た。瞬時に毛が逆立つ。僕は勝手口で奥さんを呼んだ。
「ギャオー!ギャオー!助けてくれー!!」
すると奥さんは直ぐに出て来てくれた。
「ブチニャン、死にそうなの!?」
 事の次第を全然理解できていない奥さんは間の抜けた事を言っている。そこへボンジュがゴムまりの様に飛んできた。僕の目にはハッキリと厩舎の陰に潜んだキンコが確認出来た。キンコは奥さんの姿を見つけ、ボンジュを追うのを止めたのだ。闇の中に悔しそうなキツネの光った目がある。
(助かったー!)
 僕とボンジュは振り返ってキンコの行動を凝視していた。
「ブチニャンもボンジュもどうしたの?誰か悪い奴でもいるの?」
 そう言って奥さんは僕らが振り返った辺りを伸び上がって見ていたが、この暗さだ。人間の目にはキンコの存在など分かる筈がない。案の定、何も見出す事が出来ず、ただ僕らの頭を優しく撫でてくれた。しばらく僕らを探っていたキンコだったが、奥さんが怖いらしく、スゴスゴと戻って行った。
「お腹が空いて死にそうだったんでしょ」
 奥さんは勝手に解釈して魚入りのご飯をくれ、それでも何かを察したのか、ニャンキーハウスの前まで運んでくれた。午後9時頃になると旦那さんと奥さんはいつも馬の夜餌をつけに出てくるが、まだ少々間がありそうだ。
「じゃあネ、二人共しっかりしてヨ!」
 奥さんは母屋に戻って行った。そう言われても僕らは恐怖でしばらくは口を利くのさえ忘れ、ひたすらキョロキョロと辺りに全神経を集中させ警戒していた。ハアハアと、荒い息だけが僕らの会話だった。ボンジュが落ち着いてご飯を食べ始めるまで一時間はかかったであろう。
「ボン、何処まで行ってたんだい?」
 ふやけたご飯を喉に流し込みながら僕は尋ねた。
「あのネー、トム兄ちゃんの所に行こうと思っていたのに、僕、道に迷ったみたいなの。昨日屋根の上から見たらすぐ近くに見えたんだけど、行ってみたらけっこう遠いよ。だってすごーく歩いたのに橋を見つけられなかったんだー。それでもドンドン行ったらゴミ捨て場があってね、カラスも沢山来てたしネズミも蛇もいたよ」
 ボンジュの話を聞いて、とんでもなく遠くへ行っていたのはよく分かったが、病弱な僕には知らない所ばかりだった。
「ふーん、それで?」
「ゴミ捨て場のそばの崖になっている所に穴があったから(なんだろう?)と思って逆さまになって覗いたの。そしたらキンコがいたんだー!穴の中は暗かったけど光った目が沢山見えて、もうひっくり返る程ビックリしたよ!きっと子供もいたんだよネ。僕は走って逃げたけど、すぐ後ろをキンコが追いかけて来てサ、もう死ぬかと思ったよ!だってキンコったらビュンビュン追っかけて来るんだもん!」
 ボンジュは恐怖体験を思い出して目をグリグリさせて身体を強ばらせた。
「危なかったなァー!気を付けないと命無くしちゃうゾ」
「ホント、帰り道はスグ分かる様に伯父ちゃんにいつも言われてた通り、オシッコかけながら行ったから迷わなかったけれど、そうでなかったら家に帰れなかったと思うヨ。そしたら奥さんに助けて貰えなかったから、やっぱり死んでたね」
 ボンジュは冷静に自分を分析し、僕はご飯入れの前にうずくまり意見した。
「そうとも!とにかく良かったよ、無事で!しばらくは特に気を付けた方が良いよ。キンコは一度狙った獲物に執着するらしいからナ!」
「うん、分かった!」
 ボンジュはやっと気を鎮めると毛づくろいを始めた。暖かくなって来たのでニャンキーハウスには入らず、ハウスの上に乗っかってである。馬たちがもうそろそろ餌の時間だと吊り上げられた飼い葉桶を首でしゃくり上げ、ガッタン、ガッタンいわせ
「腹減ったゾ!」と騒いでいる。
「伯父ちゃん、僕チビタ伯父さんの土地へはヨモ叔父ちゃんやお母さんに一度も連れて行ってもらった事がないから、やっぱり一人で行くのは難しいね」
「そうとも!!無理する事は何一つないヨ!今度誰かに連れて行って貰ってからの方が安全ダ!」
 僕はハウスの前でボンジュを見守り助言した。
(良かったー!本当にボンジュが無事で!)
今ではたった一匹の家族だ。もしボンジュに何かあったら僕は寂しくて居ても立っても居られないよ

 外では戦闘機のスクランブルを思わせる夜鷹の空中落下による捕食作業が続いている。ギイギイギイギイと必死に天高く上り、ヒューヒュルルルルルーと落下するのだ。しばらくその面白い音に聞き耳を立てていると、勝手口の開く音がした。ボンジュが反射的に駆けて行く。やがて奥さんに抱かれたボンジュの幸せそうな顔がそこにあった。