ガラッ!
Ⅾ型ハウスの戸を開ける音で僕たちは目が覚めた。今朝は旦那さんが馬の餌やりに来たことがすぐにわかった。
「ボンジュー、ボンジュー、お早う!」
って必ず言うんだ。何も言わない時は旦那さんに決まっているのサ。
旦那さんは僕らのハウスを横切り、馬房に近付くと馬達には
「お早う!」
と声をかけている。
間もなくガサゴソと音がして来た。
「イヤになっちゃう~」
と、ぼやいている。小さなボンジュにはチョッキが重いのだ。顔をしかめながら身体を揺すり、自分の動きを確かめるとモコモコと出て行った。
僕らは奥さんじゃないと出て行かない。旦那さんが餌をくれることなんて滅多にないからネ。
「ボンジュー、チョッキは暖かかったかい?」
旦那さんの声が聞こえた。
そう言われてみれば、ボンは昨日より少し元気になったようだ。でも、風呂は絶対にやめてほしいよ。もし身体がこれ以上悪くなったら、それは風呂のせいだ。
ソロソロ起きようか。僕はニャンキーハウスから少し顔を出してノビをした。
「寒ーい!ニイ、山へはもう少し暖かくなってから行こうヨ!」
トーマスが後ろから覗いて言った。
「山って?どうして山に行くの?」
ミイがトーマスにピッタリくっつきながら尋ねた。
「山にねぇ、お前たちの為に良い物見つけてあるんだよ」
トーマスは愛し気にミイの顔を舐めながら答えている。
「お母さん!それってなーに?」
「お前たちはまだ見たことも食べたこともない、ヨモ叔父ちゃんより大きなウサギ
「エェッ!ホント、ホント!?早く連れて行って!」
ミイとトムは飛び跳ねて喜んでいる。ニャンキーハウスの奥からヨモブチがノッソリと起きて来て、こう言った
「ボンはどうする?」
「可哀想だけど、置いていくしかないネ。
トーマスはハウスから身を乗り出し、ボンジュの姿を探しながら言った。
「トムもミイも、この事はボンジュには黙っていなさいよ!」
トーマスは声をひそめ、きつい調子で言い聞かせた。
「それならボンが可哀想だから、ミイ行かない」
ミイは顔を曇らせ、ポツリと言った。
「大丈夫だよ!ボンだけ奥さんからまた美味しい物もらうんだから!」
ヨモブチが慌てて言い聞かせる。すぐさまトーマスも口を挟んだ。
「そうヨ!ボンは奥さんのめんこじゃないの!だから置いてっていいんだヨ!」
「そうだよ!ボンはいっつも自分だけ美味しい物いっぱい食べてるじゃないか!
トムがムキになって言った。
「そうよ!ボンは、いつでも特別に美味しい物食べているでしょ!
トーマスは語気を強め、険しい顔で言い含めた。
「分かった。そしたらミイ、ボンにお土産もって来てあげるよ!」
ミイは、皆の顔をグルリと見回した。どこまでも優しい娘だ。
「ヨシ、決まった!行く事は皆、黙っていろよ!
誰もがヨモブチの意見に同意して大きく頷いた。
丁度良かった。午前9時になると、
冬の低い太陽が姿を現してから2時間程たっただろうか。
「サー、出発!」
ヨモブチの声に皆が並んで歩き出した。先頭はトーマスだ。いつもはヨモブチが先頭なのだが、今日は妹が案内してくれなければ行き先が分からないからネ。トーマスの次はヨモブチ、その後ろにトム、ミイ、僕の順に並んで行った。
牧柵は地面から一メートル二十センチ程の高さがある。もしもの時でもどうにか命は助かるだろう。トーマスは母親だから一番警戒している。
「トム!ミイ!落ちないようにネ。気を付けて歩きなさいヨ!」
そう言いながら時折り振り返って子供たちの様子を見ている。
百メートルも進んだだろうか、
腫れぼったい目をこちらに向けた。
と笑い出した。
トーマスは癇に障ったらしく、怒って言い返した。
「家出なんかするわけないでしょ!」
すると、この牧場で一番の稼ぎ頭であるキクイチオオー婆ちゃんが
「家出しなくても良いが、近頃の猫はろくでなしばかりだ、って旦那さんも奥さんもこぼしていたから、
と嫌みたらしく口をひん曲げ、真っ白な鼻息をふきかけてくる。
「それはどういう事だ!」
ヨモブチが憤慨して足を止めた。
「分かってないネー。捨てられない様に頑張ったら、と言う事よ!
キクイチオオー婆ちゃんは、またもやどぎつい事を言った。
(そうだ!そうだ!)
と首を振って笑っている。
僕はそれを聞いてゾッとした。二人が本気で捨てるとしたら、
「トム兄ちゃん、早くウサギ見たいね」
「うん、どのくらいの大きさかな?」
楽しい夢でも語り合っているように二匹はハシャイでいる。
「トーマス、まだまだかい?」
僕は息を切らしながら声を掛けた。
「もうすぐヨ!」
妹はそう答えながらも、どんどんユーミスの丘の方へ足を進めている。
「皆、ここから丘に上るのよ!」
牧柵はここで終わりだ。丘には多くの白樺が立ち並び、木の下はススキが枯れて密生しいる。その根元には雪が刺さり込み、十センチばかりの積雪になっていた。
僕たちは妹に続いて牧柵を下りるとススキを搔き分け、またもや一列に並んで
二十メートルも進んだだろうか。こんもりとした雪の塊に出くわした。これだ!僕は思わずワァーッと歓声を上げそうになって、慌てて口を押さえた。みっともないじゃないか!家長としてね。
「これよ!これ!」
トーマスが指す雪の塊の周りには、一メートル程の高さに丸く木の囲いがしてあり、
「ここが頭よ!」
トーマスが力強くニンジンの下を前足を使って掘り始めた。
「何しているの?早く手伝って!」
トーマスの言葉に促され、僕らも掘り始めた。見る見るうちに白いウサギが姿を現した。「ニヤッホー!トーマス、よく見つけたなあー!」
ヨモブチが感激してジャンプした。吐く息までが白く踊っている。
「どう?お正月にピッタリの御馳走でしょう!」
トーマスはスクッと立って皆を見回した。威張っているんだ。
「ホント、お母さんってすごいや!」
トムはウサギにつんのめりそうになって叫んだ。
ミイはひたすら「すごーい!
と叫んでいる。
「トーマス、よくやったなあ!」
僕は只々称賛した。しばらくの間、雪の中から掘り出され硬直したウサギをまじまじと見ていた。
皆の目がギラギラとウサギに注がれ、今か今かとトーマスの号令を待っている。これを見つけたのはトーマスだから、所有権は彼女にある。
「ブチニイは一家の主だから頭を食べてね。
トーマスの掛け声に、皆一斉にそれぞれの場所で食べ始めた。
僕以外は皆、全力で挑んでいる。十分もすると少しずつだが肉にありついたらしく、ペチャペチャ舐めたり食らいついている子供たちの姿があった。勢いよく腿に食いついてムシャムシャ食べているのはヨモブチとトーマスだ。僕もようやく目玉をくり抜くのに成功した。凍っていてブシュッと弾ける手ごたえはなく、
「うーん!うまい!」
と思わず声を漏らしていた。こんな御馳走は何年ぶりだろうか?
「ニイ!美味しいでしょ!」
トーマスが笑って言った。大きくうなずく僕の前で
「おお!たまんねぇ!」
ヨモブチが舌なめずりをし、また食らいついた。
「うーん、うまい!本当に美味しいよ、お母さん!」と、感激しながら夢中になって食べている。
僕は二つ目の目玉をやっと食べ終え、皆が食べている様子を見ていると
「ブチニイ、早く食べろよ!」
とヨモブチが場所を譲ってくれた。
「
と言いかけたところで猛烈なクシャミが襲ってきた。
「ブチニイは、それだから元気になれないのよ!」
トーマスは肉を頬張りながら横目で気の毒そうに僕を見ている。
本当にそうだと思う。僕は大食いにも慣れていないのだ。
休んで見ていると、皆の肉への執着が伝わって来る。
食べ終わるとウサギの周りで一休みだ。
「うーん、食ったな!」
クシャミを矢継ぎ早にしながらも満足だった。
「ニイ!この残り、どうする?」
フーフーと息をし、
すかさずミイが叫んだ。
「そうだよ!ボンジュに持って行ってやろう!」
トムが僕ら大人の顔を見回して言った。子供たちはボンジュを置いてきたことが気になって仕方がないらしい。
「そうネエ、でも随分重そうよ」
とトーマスが考え込んだ。あんなに食べたのに、まだ半分も残っている。
「ヨーシ!皆で引っ張って行こう!」
「そうね、ゴン太やキンコにやる事ないネ!」
トーマスも決心したようだ。
「ワーイ!」
トムとミイは大喜びで飛び跳ねた。体力に自信がない僕はジッと事の成り行きを見守っていた。すぐにトーマスが後ろ足を引っ張り始めると、トムとミイも手伝った。
「よし、首を取っちゃおう」
ヨモブチがバリバリと首を食いちぎり始めた。僕はその間、
「やったぞ!」
大きなヨモブチの声に振り返ると、
(
と、皆の心は一つになっていた。
ユーミスの丘を下り、なだらかな斜面の放牧地に入ると一休みだ。
「ウンコラ、ドッコイ!ウンコラ、ドッコイ!」
皆でへとへとになりながら放牧場の中へと進むと
「何だい?そのいやらしいものは?」
早速キクイチオオー婆ちゃんが顔をしかめて近づいて来た。
「その臭い物は何だー!!」
そう叫ぶと、遠くへ逃げ出して行った。
「ウサギの肉サ!」
僕らは立ち止まった。子供たちはハアハアと息を荒げながら
「お母さんが見つけたんだよ!」
と得意げだ。トーマスとヨモブチは”どうだ!”と言わんばかりに胸を張っている。「イヤダネー、猫は。野蛮で下品で!オエッ」
キクイチオオー婆ちゃんは嘔吐でもしそうに舌をだらりと出した。
「何よ!人間よりずーっとマシよ!」
またもやトーマスは不愉快丸出しで言い返した。
「トーマス、放っておけ!」
ヨモブチが忠告している。こんな所で時間を取りたくないのだ。いつ邪魔者が現れるか知れない。遠くへ逃げていたライバが他の四頭とおずおず近づいて来て
「どうでもいいから、早く持って行ってよ!」
と鼻孔を歪め、促した。
そうこうしていると、にわかに頭上が騒がしくなり、邪魔者が姿を現した。
「カー!うまそうじゃないか。食わせろ!食わせろ!」
カラスどもが二十羽近くも集まってきたのだ。その騒々しさに僕らの全身の毛が瞬時に逆立った。
お互い目をギラギラさせ、
「もし、このウサギに触ったら必ず殺してやる!」
トーマスが声をひそめて言った。
「あぁ!必ず殺す!」
ヨモブチも物騒な事を言っている。
「カラスなんかに絶対にやるもんか!」
トムとミイも顔を真っ赤にしてウサギを引っ張っている。カラスどもは頭上に円を描きながら飛び交い、僕らの後をついてきた。
「オーイ、シッポ無しのへんてこ猫!」
「能無し猫の集まり!」
「ブス!トンマ!アホンダラ!」
カラスは肉にありつけない悔しさで悪口雑言を浴びせてくる。
「シッポなし!シッポなし!」
大声ではやしたてて付きまとうカラスを、ライバが追い払いに走って来てくれた。ライバには昨年生まれた娘がいて、その娘のミーシャは生まれて一ヶ月もの間、自力で立つ事も横になる事も出来ずにいた。
「未熟児!、未熟児!」
「バカどもめ!あっちへ行け!」
ライバと一緒にミーシャも走り回ってカラスを追い払ってくれた。
「ありがとう、ライバ」
僕らは感謝の気持ちで一杯だった。
「イヤイヤ、気にしなくて良いよ。それより早く持って行きなよ」
と、さらに後ろをトコトコついて来てくれた。
かれこれ一時間は掛かっただろう。僕らはやっと家にたどり着いた。皆クタクタになって、しばらくはその場から動けない。僕らの息切れはしばらく続いた。