ユーミスの丘

ドラ猫横丁0番地に住む猫たちの愉快な物語

その15 僕は酔っ払いなんかじゃないよ!

 一月の半ばになると、ボンジュの身体はすっかり良くなってきた。それでも奥さんは無理やりチョッキう着せている。それを見つけると僕らは直ぐさま脱がしてやる。するとボンジュは大喜びで駆け出すんだ。その姿を見つけると、また奥さんはチョッキを着せる。ボンジュが「イヤダーイヤダー」と言っているのにだ。
 ある朝、奥さんが飼い葉を付けに来た時、チョッキを着せられたボンジュがジタバタしていた。
「アー、カユイヨ!何とかしてクレー!!」
 身体をよじ曲げたり首を左右前後に振ったりと、転げ回って苦闘していた。奥さんの仕事をしているそばでそりゃー大変なものだった。
「アラー!ボンジュ、チョッキが嫌なの!?」
 と、奥さんがスットンキョーな声を上げた。そしてチョッキを脱がせたのサ。これって、もしかすると嫌がっていたのを全く無視していたというより、只々単に気が付かなかったという事だろうか?その点で僕は大いなる疑問を持った。ボンジュはチョッキから解放されると、その場で必死になって背中に食いついている。痒いのを我慢するのって死ぬほどの辛さだった筈だ。
 ややしばらくして、旦那さんがチョッキを着ていないボンジュを見つけた。するとだ。
「ボンジュ!チョッキを着ていなくちゃダメじゃないか!」
 と言ってチョッキを手にボンジュを追いかけたんだ。もうボンジュは0番地はもとより、馬小屋から母屋の周りまで逃げ回っていた。その様子が面白いのか、トムとミイまでも一緒になって走っている。
「ニャー、イヤダーイヤダー!」
 ボンジュの必死の抵抗にやっと旦那さんが諦めて
「チョッキを着ていた方が他所の人が見たら猫を大事にしていると思うから着てくれた方が良いのにナァー」
 と、とんでもない事を言ったんだ。それを見ていた奥さんが笑って言った。
「ボンジュ、チョッキが嫌なんだって!」
「そうか!道理でチョッキを見せたら逃げ出したもの」
「そうなの。元気になったから、もういらないんですって!もう、良いわネ」
「ふーん、チョッキを着ていた方が可愛いのにネェ」
又もや旦那さんは非常識な事を言った。やっぱりここの家じゃ、旦那さんより奥さんの方が僕らの気持ちが分かるみたいだ。僕は0番地に積まれた牧草の上から一部始終を見ていてそう思った。ボンジュはやっと安心してトムやミイとかくれんぼをして厩舎を我が物顔に駆けずり回っている。

 今日は大人は僕だけだった。トーマスは昨夜から帰っていないし、ヨモブチも早朝から働きに出ていた。僕は昼近くまで湯タンポにへばりついていたが、旦那さんと奥さんが午前中の仕事を終えて母屋に戻るのを見つけ、ついて行った。早速ご飯をねだる事にしたんだ。母屋の勝手口の前に立つと
「ニャーン、ニャーン、ご飯くれ!」
 僕の声を聞いて子供たちも駆け付けた。
「ニャーオン、ニャーオン」
「ウニャー、ウニャー」
「ニャン、ニャン、ニャン」
 それぞれ個性的な声をあげてご飯の催促だ。十分程で奥さんがかつお節ご飯を持って出て来た。
「アラッ、ボンジュもお腹すいたの?」
 奥さんは又もや僕らを無視して言った。ボンジュは奥さんに駆け寄る。
「そう、そんなにお腹がすいたの?」
 奥さんはボンジュに優しく声を掛け、抱き上げて肩にのせた。ボンジュは嬉しそうに肩の上で奥さんの頭に身体を擦り付け、ゴロゴロと喉を鳴らしている。僕はそんな奥さんを見上げて「ニャッ、早くください」
 と言った。奥さんはその格好のまま僕らの0番地に向けて歩み出した。
「ボンジュ、ボンジュ、マルボンズ」
なんて変な節を付けて言った。相変わらず奥さんになついていないトムとミイは五十センチ程離れて奥さんの後ろに続き、僕は奥さんの少し前を小走りしていた。
「アッハ、ハハハハハ。ブチニャンの歩き方ってまるで酔っ払いみたーい!」
 突然奥さんは笑いながら言葉を発した。ひどい!余りにもひどい侮辱だ。さすがに頭にきた。直ぐさま振り返り、奥さんを睨みつけた。
「だって!そのナヨナヨ、フラフラした格好は、まるで酔っ払いでしょ!」
 僕は傷ついた。そして食欲が失せていくのを覚えた。ボンジュはこんな言葉はまだ知らないが、トムとミイは違っていた。この二人は僕と一緒にいる時間が長いだけ、皆より人間の言葉を理解し始めている。
「ブチ伯父ちゃん、奥さんなんて言ったの?」
 トムが興味を示した。
「ふざけた事を言っているだけサ」
 僕は軽く流した。するとミイが目を輝かせ

「酔っ払いって言ったよね!」
 と聞いてきた。ミイは言葉を理解していたんだ!
「ああ、飲んだくれみたいだって言ってたんだヨ」
 僕は仕方なくそう答えた。
「本当?酔っ払いみたいだって言ったの?ニャッハ!ハハ、ニャッハ、ハハ!」
 トムはそれを聞いて愉快そうに笑いだした。頷きながらミイも笑っている。僕は奥さんを恨めしく思った。僕一匹の時は何を言っても良いけど、何も子供たちの前で言う事は無いだろう!大体、猫に酔っ払いなんている分け無いだろう!人間じゃないんだから。
 奥さんはニャンキーハウスの前に来ると、餌入れにご飯を入れてくれた。トムとミイはすぐに食べ始めたが、僕は食べる気になれず、その場にうずくまっていた。奥さんはボンジュを肩から下ろすと餌の方に押しやり
「ボンジュって本当に可愛いネ。元気になって良かったネ」
 と言いながら、なで回している。そして僕を見ると
「お前さんはいつもグズグズしていて馬鹿な猫だネェ。早く食べないと美味しい所皆食べられちゃうヨ!」
 と忠告し、僕の頭もなでた。僕は腹が立っていたが、なでられると嬉しかった。思わず奥さんの足に身体を寄せて見上げると、珍しく僕をヒョイと抱き上げた。僕は慌てて大きく爪を出し、しっかりとセーターに引っかけて奥さんの胸から肩に上ろうとしたんだ。
「イヤーネェー、だからブチニャンを抱くのは嫌なのよ!爪の出し過ぎヨ!」
そう言うと奥さんは横目でしっかり僕を睨み付け、無理やり僕を引きずり下ろした。
 小さい頃から人間に馴染んでいなかった僕は、こんな時決まって力一杯爪を出してしまうんだ。奥さんに甘えるようになってからもだ。一年も経っていないからネ。
「しっかりしなさいヨ」
 奥さんは眉間に縦じわを三本も作って睨み付け、もう一度僕の頭に手を触れると戻って行った。

 冬といえども旦那さんたちの仕事が終わらないうちは、この0番地を囲むD型ハウスの大きな入り口は開け放されたままだった。そこから戸外の様子が良く分かった。今日は朝から曇ってはいたが、ついに雪が降って来た。
寒くなるゾー)
 と思いながら弟と妹を案じ、子供たちの食事風景を見守っている。ボンジュはすっかり元気だ。トムやミイは、先ほどの酔っ払いの事など忘れて、一心にご飯を食べている。僕は気が小さいのかもしれない。酔っ払いの件で食欲が減退しているもの。何故かヨモブチの顔が浮かんだ。あいつがこれを知ったら
「ニイ!ぴったしだヨ!」
 と言ってゲラゲラ笑うだろうなー。僕はダンダン惨めになって来た。人間ってこうして僕らを傷つけるんだ!こんな時は決まって病弱な自分自身を恨めしく思う。
 僕の予感が的中するのにさほど時間は掛からなかった。間もなくヨモブチが帰って来たのだ。奥さんが午後になって直ぐに入れ替えてくれた湯たんぽに子供たちとくっついていると、ヨモブチがノッソリと姿を表した。
「ニイ!ただいま!」
 そう言うなり、僕の下腹にピタッと両足をくっつけた。
「今日は何か面白い事なかったか!?」
「何するんだ!冷たいよ!」
 反射的に身体をよじる僕にヨモブチは悪ぶれもせず、キャッキャッと笑いながら皆の顔を見回し
「今日は何か面白い事なかったかなー!?」
 と、又もや問いかけて来た。まどろんでいた子供たちが待ってましたとばかりに顔を見合わせ、ミイが目をクリクリさせて言った。
「ブチ伯父ちゃん、今日ネ、奥さんに酔っ払いみたいって言われたんだヨォー!」
 その言葉を聞くや否やヨモブチは
「ナァーニィー!」
 と、まずは甲高い声を発し、
「酔っ払い!酔っ払いだってカ?!ニャッハハハー、ニャッハハハ!これは良いよォー!ピッタシダー!ピッタシ!」
 と、腹を抱え笑い出した。それにつられ、子供たちまでがそれぞれ爆笑している。(なんという奴らだ!)
 僕は家族の中で一匹孤立している。とてもその場にいたたまれず、ハウスを出て戸外へ足を向けた。
 外では横殴りの雪が容赦なく僕に吹き付けて来た。やっと大きくなりかけた植木も見る見る白いシャーベットに覆われている。僕はその下をくぐり抜け、しばらく母屋の玄関前にうずくまってみた。身体がグングン冷えていく。そして精神までもが奈落の底へと引きずられていく様な怖さを覚えていた。
「ブチ伯父ちゃーん!」
「ブチ伯父ちゃーん!」
 程なく子供たちが探しに来てくれた。それぞれが寒さで鼻を赤くしている姿を見た時
「外は寒いから、早く家に帰ろう」
 と、我に返っていた。トムもミイもそしてボンジュも僕を包み込む様にして歩いている。そんな子供たちを見た時、子供だとばかり思っていた彼らの成長をハッキリと認識した。精神はまだ子供でも、肉体は少々発育不全のボンジュ以外は、もはや僕とほとんど変わらないのだ。
 歩きながら
「ブチ伯父ちゃん、さっきはごめんなさい」
 ミイがポツリと言った。
「いいんだよ」
 そう答えながら家に戻ると、ヨモブチが正座して頭を下げた。
「ニイ!許してくんろ」
 この態度の良さに僕の気持は収まった。仕方がないよ。僕は病弱で、いつもフラフラとした歩き方しか出来ないのだから。
「いいよ、気にしなくても」
 そう言って冷えた身体を温めた。子供たちは湯タンポの上でホッとしている。
「ブチ伯父ちゃん!元気出してね」
 ボンジュの愛らしい言葉が僕を幸せにしてくれた。